日本人とトンボ
日本人とトンボ

〜その1〜 あきつ洲


「あきつ(秋津)」とはトンボの古い呼び名です。日本書紀によると、神武天皇が現・奈良県の御所市で即位された後、小高い丘から国見され、現代風に翻訳すると「狭い国だが、トンボが交尾しているようだ」とおおせられたことから、日本のことを「あきつ洲(しま)」と呼ぶようになったそうです。大変飛躍した内容にも感じられるのでトンボ好きの深読みを少々。ひょっとして同天皇は生態学に長けていたのでは?実はトンボという呼び名、識者の間では田んぼやドブなど、水辺を示す言葉が転じたものと言われています。水は農業、工業など、国の発展にとって欠かせません。トンボを大切にすることは、豊かな国づくりにとっても特に重要なことと、意識されていたのではないでしょうか。

[写真:ハグロトンボ交尾 2010・9・19]
〜その2〜 勝ち虫
〜その2〜 勝ち虫


雄略天皇にまつわる故事です。同天皇が現・奈良県吉野郡内で猟をされていたとき、休憩中に腕をさしたアブを1頭のトンボ(多分シオカラトンボ)が捕捉していったことから、トンボを「勝ち虫」と呼ぶようになった、ということです。その後、トンボは縁起ものとして、兜の前立ちや大砲など多くの武具に飾り立てられました。今日でも学生服や鉛筆、農機具など、トンボやヤンマの名称を付けているメーカーがありますが、トンボが日本人にとって馴染み深い生物であることと、社運を託す縁起物であるということも無関係ではないかもしれません。

[写真:シオカラトンボ(オス) 捕食(アブ) 2010・7・24]
〜その3〜 羽根つき
〜その3〜 羽根つき


「羽根つき」といえば、木製の「羽子板」で4枚羽の「羽根」を二人で打ち返し、空振りなどすれば顔に墨で落書きされてしまうお正月の代表的遊戯、くらいに思われていないでしょうか?
本当は、日本脳炎やマラリアなど、蚊が媒介させる病から子供たちを守るための「おまじない」だというのです。そのモデルこそ、カトリ(蚊取り)ヤンマ。実際、庭先にやってきたカトリヤンマが、低空を行き来しながら蚊を追いかけている様は、正に羽根つきのラリーそのもの。自然と共に暮らしていたかつての日本人は、年初めの特別な日、大切な子供たちがこの1年間を健やかに過ごせるようにとの願いをカトリヤンマに託していたのでしょう。

[写真:カトリヤンマ(オス) 2010・11・20]



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