虫の知らせ
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 四万十川流域で、本格的にトンボの調査を始めてから早や40年。この間、図らずもトンボたちの変遷を目の当たりにすることとなりました。もちろん、増えたものはほんの一握り、大半は減少したものです。ここではその数例を紹介し、そこから読み取れることについて考えてみます。
 
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ベッコウトンボ♂
 
 ヨシやガマなど、背の高い抽水植物が多く生育する風通しの良い池沼や湿地を好み、現存生息地は全国でも数ヶ所しか残されていません。四万十市では1972年、生息が確認されていた湿地帯が公共事業で埋め立てられ絶滅。また、高知県中央部に存在していたもう一つの生息地でも、やはり公共事業による生息域埋め立てと、草原化などによる環境変化によって1984年に少数個体が目撃されたのを最後に姿を消しています。現在、四国全域でも、その姿を見ることはできません。
 

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カトリヤンマ♀   ミヤマアカネ連結産卵
     
 共に山間地の水田地帯で繁栄していた種類。特にカトリヤンマは当地方のヤンマ科中、ミルンヤンマと共に最も数多い種類であり、ミヤマアカネも少し山間に入ればよく目に付く普通種でした。1980年代に入ると急速に減少、現在では希少種と呼ぶべき存在となってしまいました。原因は、温暖化などに伴って中干し時期が早まり羽化前の幼虫が死滅、あるいは減反による原野化など、水田そのものがトンボ類の生息に適さない環境に変貌してしまったことによります。


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アキアカネ連結産卵   ノシメトンボ連結産卵
     
 アキアカネは日本の秋を象徴する赤トンボで、「渡り」をするトンボとしても有名。 平野部の水田地帯を好み、1990年代までは秋の昼下がりに群れ飛ぶ光景をあちこちで見ることができましたが、2000年代後半より急速に減少しています。一方で、1980年代まではむしろ稀種だったノシメトンボが増殖、まだかつてのアキアカネほどではありませんが、現在ではすっかり普通種となっています。本種は、湿り気が残る草地などに好んで産卵する、やや乾燥した環境を好む赤トンボです。両者の逆転劇の要因として、大規模な圃場整備によって当地方の水田の多くが従来の湿田から乾田へと変貌したことと、圃場整備を免れた湿田も減反によって草原化してしまったことなどが考えられます。


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ヒメアカネ 交尾   モートンイトトンボ 交尾
     
 両種共に、セリやチゴザサなど背の低い抽水植物が繁茂する林縁の湿地を好みます。1970年代後半から1980年代前半にかけ、当地方の湿田は格好の減反対象となり、両種が好む湿地帯へと変貌しました。好生息地を得て1980年代前半までは共に増加傾向にありましたが、1980年代後半からは過度の草原化と、埋め立てにより減少へと転じています。特にモートンイトトンボは現在トンボ王国のほかに1・2ヶ所の休耕田で命脈をつないでいるだけに過ぎません。


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オツネントンボ 連結産卵   ベニトンボ ♂
     
 オツネントンボは北日本に多いアオイトトンボ科の成虫越冬種で、1987年に高知県宿毛市西部のため池など約10ヶ所の水辺で生息が確認されました。1シーズンの個体数は多い場所でも数十レベルながら、1990年代前半まで、発生数は安定していました。ところが1990年代後半より減少傾向が認められるようになり、2002年を最後に全ての水辺から姿を消してしまいました。 一方、ベニトンボは東南アジアに広く分布している南方系種で、国内では1970年代まで鹿児島県薩摩半島の池田湖と鰻池だけに生息していました。1980年代に入ると、台湾型と呼ばれる、より大型の個体が沖縄県石垣島で発見されたのを皮切りに北上を始め、1990年代には薩南諸島を経て九州本土に上陸、2000年代には九州全域と四国南部まで分布を広げ、2010年代には本州の紀伊半島からも記録されるに至りました。
 
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オオイトトンボ 連結産卵   ムスジイトトンボ 連結産卵
     
 オオイトトンボは1980年代初めまで、高知県中央部以西から愛媛県南部にかけ、池沼や湿地はもとより、水田や用水路など平野部の様々な水辺で見られる、ごく普通のイトトンボでした。当地方でイトトンボといえばオオイトトンボを指す、と言っても決して過言ではありませんでした。ところが1980年代後半より減少の兆しが現れ始め、その傾向は1990年代に入ると一気に加速、2000年代後半には高知県内の生息地は僅か数ヶ所を残すだけとなり、2011年、高知県内の安定生息地はついに当トンボ王国だけとなってしまいました。 ムスジイトトンボはオオイトトンボと同じクロイトトンボ属に含まれる種類で、大きさや体色もよく似ています。ただ、オオイトトンボが抽水植物の多く生育するやや湿潤な環境を好むのに対し、ムスジイトトンボは海岸近くの水面が開けたため池やみぞ川など、やや乾燥した環境を好む傾向があります。1980年代前半まで、四万十川周辺では河口からせいぜい5kmほどまでにある池沼で見られる程度でしたが、1990年代半ばころからは河口から10kmほど内陸の水辺にも姿を見せるようになり、2000年代に入ってからはさらに15kmほど内陸に入った水辺からも記録されるようになっています。かつてのオオイトトンボほどではありませんが、生息地および個体数も増加傾向が認めらます。


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 このほかにも1980年代後半以降アジアイトトンボ、キイロサナエ、ネアカヨシヤンマ、ハネビロエゾトンボ、マイコアカネなどなど、四万十川周辺で以前には普通に見られたトンボたちが激減した半面、1980年代に入り北方種のエゾトンボが急速に生息地を広げたり、1990年代以降、乾燥地に多い国外産種スナアカネもしばしば発見されるようになっています。また、温暖化が懸念されている今日、ベニトンボなど南方種が分布域を北上させているだけではなく、ヨツボシトンボなどいわゆる北方種は逆に分布域を南下させています。特に近年、中国大陸に分布するマンシュウアカネも日本各地で記録されるようになっており、研究者の関心を集めています。
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アジアイトトンボ 交尾
 
キイロサナエ 産卵
 
ネアカヨシヤンマ ♂

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ハネビロエゾトンボ ♂
   
マイコアカネ ♂

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スナアカネ ♂
 
ヨツボシトンボ ♂
 
マンシュウアカネ ♂ 判 一利さん撮影

 温暖化は一方で雨季と乾季を明確化させる働きがあるとも言われ、上記トンボ類の動向は一種の湿地帯とも言える水田の草原化と、温暖化とによる「乾燥化」に起因しているものと推察されます。一次産業衰退による環境変化と、温暖化に象徴される気候変化のダブルパンチに翻弄されるトンボたちの姿が見えてくるようです。ただ、これはただ単にトンボたちだけの問題なのでしょうか。
 冬季にインフルエンザが流行するのは、寒さでヒトの免疫力が低下することに加え、空気が乾燥することにより微小なインフルエンザ菌が空中を浮遊しやすくなるためなのだそうです。
 社会を恐怖に陥れる鳥インフルエンザなどの家畜伝染病。ひょっとして、これも乾燥化に一因があるのではないでしょうか。だとすれば、水田には食料生産のみならず生態系保全と疫病の流行抑制という役割も担っていることになるのですが…
 この考察が正しいとすれば、水田は儲からないから廃棄すべきものなどというものではなく、補助金を支払ってでも維持してもらうべきもの、ということになるでしょう。
(文責 杉村光俊)

 

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