こだわりのトンボさがし

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 ムカシトンボは、オニヤンマを小さくしたような、黒地に黄色斑がある全長5cmほどのトンボです。体つきは普通のトンボですが、イトトンボやカワトンボのようにハネを閉じて止まる不思議な習性を持っています。実は、あのシーラカンスやカブトガニなどと同じ、「生きた化石」と称される生物の一種なのです。地球上の生物はおよそ6500万年前、恐竜時代から哺乳類時代へと入れ替わりました。シーラカンスは3億年前、ムカシトンボは1億数千万年前に栄えた仲間の特徴を残しているとされ、つまり6500万年前の壁を乗り越えてきた生物に与えられた称号が「生きた化石」というわけです。
 さて、ムカシトンボの仲間はユーラシア大陸を中心として世界中から60種ほどの化石が見つかっています。生きたムカシトンボの仲間は、2010年まで日本とヒマラヤ地方に1種ずつ、とされてきましたが、2011年に中国から新種のムカシトンボが発見されたとの発表がなされ、現在は世界中で3種、ということになっています。生物は環境変化に伴い、進化または退化といった具合に姿や形を変え、あるいは絶滅してしまいます。太古の時代に栄えた生物の存在は、そこに往時の環境がそのまま維持されている証といえるのです。


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ムカシトンボ(♀)の止まり方 翅(ハネ)を閉じてぶら下がる

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アサヒナカワトンボ(橙色翅型♂)の止まり方
水平姿勢で翅(ハネ)を閉じる
オニヤンマ(♂)の止まり方
翅(ハネ)を開いてぶら下がる
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 ムカシトンボは山地の渓流に生息、幼虫期間が長く南日本でも5〜6年、北日本では7〜8年を要すると考えられています。従って、生息地では一年中いつでも各サイズの幼虫が生息していることになります。また、産卵は生きた植物にしか行わないので、植物が育たないような薄暗い谷川には生息できません。そこで、まずはヤゴ(幼虫)から生息地を探しましょう。ヤゴは普通、早瀬のやや大きな石の裏側にしがみついています。その下流側にタモ網などを仕掛けて、それとおぼしき石を持ち上げればヤゴが急流に押し流されて網の中に入ってきます。ヤゴは成虫の数倍から数十倍生息しているはずなので、馴れると大変効率よくムカシトンボの生息地を見つけることができるでしょう。
 次に、産卵痕からも容易く生息地を見つけることができます。ムカシトンボは必ず流れに張り出すように生育する植物を選んで産卵します。そのような形で生えている植物の茎の流れ側をよく見てください。Sの字状で卵が並んでいたら大当たりです。卵は産卵直後ではクリーム色ですが、翌日には褐色になっています。ただ、産卵から孵化までは2ヶ月近くかかるので、卵が残っている植物を見つけられたとしても、すでに成虫出現期が終わっている可能性もあるので、念のため。


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四万十市 磯の川 黒潮町 蜷川 四万十市 中鴨川
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四万十市 奥鴨川 四万十市 竹屋敷 四万十市 伊豆田
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四万十市 住次郎 四万十市 奥屋内 四万十市 田野々


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終齢幼虫 幼虫各齢 フキへの産卵痕


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 幼虫は楕円形に近い体つきで、背面は滑らかに盛り上がり、腹部はほぼ平らになっています。ちょうど、鶏卵を縦に割ったような、急流に押し流され難い体型をしているわけです。ヤゴ時代の移動方法は匍匐(ほふく)あるのみで、もちろんイトトンボ科のように大きな尾鰓を振って泳ぐことはできませんし、トンボ科などのように直腸から体内の水をジェット噴射させて進むこともできません。ちょっと情けない気もしますが、渓流という環境では匍匐という方法が一番安全なのかもしれません。ヤゴは、早瀬が洗う石の裏側に潜み、近寄ってきたヒラタカゲロウ幼虫などの小動物を捕食しながら脱皮を重ね成長していきます。四国南部では、羽化直前のサイズ(終齢)への脱皮は羽化前年の初夏に行われますが、大半のトンボ種では終齢への脱皮は羽化の1ヶ月ほど前に行われるので、ここからもムカシトンボのスローライフ振りが垣間見えます。また羽化に先立ち、1ヶ月ほど陸上生活を行うことがしられており、四国南部での上陸時期は3月上旬です。この間に鰓呼吸から気門、つまり空気呼吸への切り替えを図っているわけです。この作業、長いもので2〜3日、多くのトンボ種では数時間もあれば十分で、数分で終えるものもあるほどです。なお、羽化1週間ほど前になるとほぼ空気呼吸に切り替わっているので、そのような状態のヤゴを水中に戻すと、たちまち溺れ死んでしまいます。ちなみに、危険を感じたムカシトンボのヤゴは腹部の節をこすり合わせて音を立てます。「鳴く」という表現は必ずしも正しくありませんが、ヤゴをうまく見つけられたらぜひ「キシ、キシ」とも聞こえる太古の音に、耳を澄ませてみて下さい。

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ヒラタカゲロウ幼虫を捕らえたヤゴ
陸上生活中の終齢幼虫


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 成虫は春に活動します。四国南部で羽化が始まるのは低地で3月下旬、山間の高所では4月中旬からとなります。それぞれの地域のソメイヨシノが2〜3分咲きになったあたり、と言ってもいいでしょう。晴天で気温が高めの日に多く見られ、開始時間は午前9時が多いようです。ただ気温が高めといっても、やっぱり早春は早春で、開始から飛び立ちまで5時間はかかり、途中で曇ったりすると飛び立ちは翌日の日が昇ってからということも少なくないので、羽化の連続撮影にチャレンジされる方はそれなりの覚悟が必要です。


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AM9:20 定位 AM9:25 裂開 AM9:37 肢(あし)の引き抜き
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AM10:06 休止 AM10:07 腹部の抜き出し AM10:32 翅(ハネ)の伸長
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AM11:11 腹部の伸長 PM12:43 不要水分の排泄 PM2:04 処女飛行前のウォーミングアップ


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 羽化を終えた成虫はその翌日から渓流付近を活発、というより敏捷に飛び交って摂食を行うようになります。特に晴天の日中に日当たりのよい渓流上や草地、あるいは道路上を行き来してカゲロウなどの小昆虫を捕食します。小さな獲物なら、飛翔し続けたまま食べてしまいますが、大きな獲物を捕らえた時にはちかくの小枝などに止まって食べます。この時が、翅を閉じて止まるというムカシトンボ特有の行動を観察できる最高のチャンス、といえるでしょう。また一定時間翅を閉じて止まってしまうと、飛び立つ際にこれまた一定時間ウォーミングアップしないと飛び立つことはできません。

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オドリバエを捕食する未熟♀


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 羽化から10日〜2週間経つと、水辺で成熟成虫の生殖活動が見られるようになります。♂は主に晴天の日中、フキやウバユリといった産卵植物近くの早瀬上でホバリングを交え低空飛翔し♀の訪れを待ち伏せしたり、あるいは積極的にパトロール飛翔して産卵中のメスを見つけます。早朝や夕方近く、あるいは曇天の日など空中湿度が高めの時には川面に下りることなく、渓流沿いの道路上を行き来してメスとの出合いを求めています。目的を同じくするオス同士が鉢合わせすると諍(いさか)いが勃発しますが、優勢オスがまるでメスを見つけた時のごとく、劣勢オスと一瞬連結するかのような独特のスタイルです。またこの行動中に捕食行動を見せることも少なくありません。


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♂ なわばり飛翔 ♂ 争い ♂ 捕食

 うまくメスと巡り合えた♂は直ちに連結、少し離れた樹木の小枝に止まって移精と交尾を行います。連結後、何かに止まってから移精する行動はイトトンボなど、主に翅を閉じて止まる種類が見せるもので、普通?体型のトンボは飛びながら行うものです。その後、リング状の交尾に移りますが、その所要時間は1時間以上が普通で2時間を越えるものさえ見られます。ちなみに、シオカラトンボなどの交尾時間は普通で数分から十数分です。オニヤンマでは1時間ほどかけるものもいますが…なお、ムカシトンボの交尾行動は、人工的に誘発させることも可能です。


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連結の瞬間 移精 交尾

 産卵は♀が単独で行い、多くは♂が水面近くにやってくる前か、その後の朝早くか夕方近くによく見られます。曇天や気温がやや低めの日中は、産卵を邪魔する♂が水辺に降りてこないので、産卵観察のチャンスといえるかもしれません。つまり、♂は高湿度を嫌うのです。逆にいえば、沢山の♂たちが行動している時間帯にわざわざ水辺にやってくる♀の目的は、産卵ではなく婿さん探しと推察されます。産卵を撮影したい時、トンボ・カメラマンは水辺の♂をネットインするなどして排除したりしますが、ムダな努力となることが多いようです。ただ、一旦産卵を開始した♀は少々の刺激では逃げ出すことなく、良きモデルさんとなってくれます。適当なサイズのフキやウバユリなどの茎を産卵場所に選んだ♀は1時間以上も留まってくれるからです。ここで、山菜取りのみなさんにお願いがあります。流れ近くでフキを摘み取られる前、その下側にムカシトンボが産卵していないことを先ず確認して欲しいのです。実際、ムカシトンボの生息地で駐車していた車が走り去った近くに、ムカシトンボの卵が入ったフキの茎が無雑作に捨てられていたことがありました。普通の人にとっては、「タダのムシ喰い」にしか見えないことでしょう。でも、ムカシトンボにとっては一大事です。何せ1本の茎に1時間以上かけて1000近くの卵を産み付けますが、この数は実に、一生かけて残す2分の一から3分の一の量であり、水中生活5〜6年間の2分の一から3分の一の期間がムダになるのですから。なお、日照量が少ない場所ではフキやウバユリなどに代わって、ジャゴケが主な産卵場所になります。また、よく生長したフキやウバユリなどの葉に産卵することもあります。


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フキの葉茎への産卵
 
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ハンカイソウの葉茎への産卵
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フキの葉茎への産卵
 
 
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ジャゴケへの産卵
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フキの花茎への産卵
 
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フキの葉上への産卵

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 ムカシトンボの成虫は短命です。3月下旬に羽化した個体は、ゴールデンウイーク過ぎには昇天してしまいます。四国南部低地での生殖活動のピークは4月上旬からゴールデンウイーク初めまで。5月に入ると水辺を訪れる個体は僅かとなり、多くの老熟成虫は早朝と夕方近く、若き日を偲ぶかのように、渓流沿いの路上を敏捷に飛び交っています。四国南部では、6月に入ってその姿を見かけることはまずありません。

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路上を飛翔する老熟♂


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 豊かな日本の自然を象徴するムカシトンボですが、北海道から鹿児島県まで、ほぼ日本全国の渓流に生息しています。そして幸か不幸か、平地の少ない高知県はムカシトンボが生息する渓流が多い上、山深い場所にまで耕作地が整備されていたことから、全国的にもムカシトンボを見つけやすい地域なのです。ただ、山間部の人口減少を受け放置林が拡大し続ける昨今、沢涸れや日照不足に陥る渓流が続出、ムカシトンボも各地でその数を減じ続けています。日照不足による産卵植物の消失や藻類減少に伴うヒラタカゲロウ類など幼虫の食餌減少、流水量減少に加え、水中に落下した落ち葉や木本類のヘドロ化など有機物腐敗に伴う溶存酸素量の減少、さらには未熟成虫のエサ場となっていた山田の放棄など、ムカシトンボを取り巻く環境は厳しさを増すばかり。四万十川流域では、多くのトンボ類が乱開発によって姿を消しているのに対し、ムカシトンボの減少は人工の手が入らなくなったことが最大の原因という、皮肉な状況となっているのです。


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沢涸れした渓流
樹木に覆われた渓流
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枯死植物由来の泥が堆積した渓流


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 何はともあれ、現代は己の生き方すら見失いがちなハイテク社会。そんな時代だからこそ、恐竜時代からの生き方を頑なまでに守り続けている、ムカシトンボから学べることも多いのでは?




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